一里塚


 前もって地図にそのあり場所をチェックして出かけたが、探せなかったのがいくつもある。
見いだせたものを写真に撮り、そのうちの幾つかは中を拝見させて貰った。
これらも一里塚と同じように、国史跡として指定されているものからいまは跡形もないもの
までさまざまである。この百数十年の間それぞれどのようなドラマを描いてきたのだろうか。
 なお「中山道宿村大概帳」によると、高崎宿と岩村田宿は本陣、脇本陣とも無く、河渡宿
と美江寺宿は脇本陣が無かった。本陣は各宿場に通常は1軒、多くて2軒である。脇本陣も
1〜2軒が普通であるが、大宮宿のように9軒、深谷、軽井沢、八幡の各宿場は4軒づつ存
在していた。

本陣
 
江戸時代、参勤交代の大小名や、勅使、公卿、幕使などが街道宿駅で休泊した大旅籠屋の
こと。本陣とは元来は天皇が行幸などをする際にその行列の中心である鳳輦(天子の乗る車)
を囲む一陣をいい、のちには軍陣の中核である総大将のいる本営を指した。江戸時代になる
と、大名などの宿陣の謂われから転じて道中休泊の宿屋を言うようになった。
すなわち亭主が本陣役(本陣職)に命じられたのが本陣である。ただし広義には大小名など
が臨時に仮休泊した宿屋でない一般民家や寺院なども本陣という場合がある。仮本陣、茶屋

本陣などという言い方をしたのがそれである。
 本陣の規模は宏大で、多くの座敷・土間のほか、厳めしい門構えや広い玄関、書院造りの
上段の間や泉水がついた庭園を備えているのが特徴的である。
本陣は宿駅起立以来の旧家が多く、本陣役のほかに名主(庄屋)、問屋役などを兼ねた例が
多く見られる。
脇本陣
 本陣の補助的旅舎で副本陣にあたる。江戸中期に多く現れ、本陣に次ぐ名望家が選ばれた。
本陣は平屋建てが原則だが、脇本陣は2階建ての場合が多々見られるも、屋敷地や建坪は本
陣に及ばない。また両者の大きな違いは、領主からの補助金の面で大きな差があり、休泊の
面で脇本陣は平旅籠的性格が濃厚であって、平常は講社の定宿となった。
茶屋本陣
 茶屋とは江戸時代、街道筋の宿場で旅行者などに昼食や茶菓を提供した休憩所をいう。茶
屋本陣はそのうち特に大小名や上級武士、公卿などが用いた高級な茶屋を言った。
                      (以上は吉川弘文館國史大辭典を参照した)
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