神社・仏閣  3.岩村田宿から洗馬宿へ
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 宿駅のデータは「中山道宿村大概帳」による。人口は天保14年(1843)調査。

木曾道中岩村田 英泉画
人口 1,637人   家数  350軒
本陣 0 脇本陣 0 旅籠    8軒
           龍雲寺
正和元年(1312)地頭大井氏の菩提寺として創建、のち武田信玄の帰依厚く堂宇を再興し越後から北高禅師を招き住職とした。昭和6年(1931)信玄の遺骨が発見された。信玄が元亀3年(1572)に上洛したとき行った必勝祈願の千人法憧に際し正親町天皇から賜られた勅額「東山法窟」がいまでも横の門に掲げられている。
            駒形明神社
創立は不明、この地は信濃牧の地で祭神に騎乗の男女2神像を祀っているので牧に関連した神社と推定される。本殿は文明18年(1486)の建築で鞘堂に覆われている。一間社流造り、栃葺き。国の重要文化財になっている。
木曾海道六拾九次之内塩なた 広重画
人口   574人   家数  116軒
本陣 2 脇本陣 1 旅籠    7軒
                        
木曾海道六拾九次之内八幡 広重画
人口   719人   家数   143軒
本陣 1 脇本陣 4 旅籠     3軒
           八幡神社
貞観元年(859)に牧の管理をしていた滋野氏の創祀という。可平安末期以降武士の崇敬厚かった神社。写真の旧本殿(延徳3年(1491)建立)の横に現本殿(安永10年(1781)から建造に着手した)がある。
           八幡神社随神門
威風堂々たる構えのこの門は天保14年(1843)完成の三間一戸楼門造り。楼門とは楼造りで2階建ての門をいう。
            
木曾海道六拾九次之内望月 広重画
人口   360人   家数    82軒
本陣 1 脇本陣 1 旅籠     9軒
             城光院
文明7年(1475)望月城主望月遠江守光恒の開基と伝えられる。望月氏代々の菩提寺。本堂は享和期(1801〜04)の建築。
           大伴神社
本殿は延宝5年(1677)建造、春日造り。景行天皇御宇の鎮座と伝えられる。
木曾海道六拾九次之内あし田 広重画
人口   326人   家数    80軒
本陣 1 脇本陣 2 旅籠     6軒
         松尾神社
万延元年(1860)再建、総欅で三社の高床造り。神社は旧郷社、酒造守護の神として酒造家の崇敬厚く遠くから参詣する人が多かった。鳥居前左の小さい石標に「日本第一酒造之祖神」と彫ってある。。
 
   
木曾海道六拾九次之内長久保 広重画
人口   721人   家数   187軒
本陣 1 脇本陣 1 旅籠    43軒
          若宮八幡
祭神は仁徳天皇、現本殿は享保6年(1721)建立。天文23年(1555)和田城主大井信定と武田信玄が矢ヶ崎で合戦、信定父子を始め、一族郎党ことごとく戦死しその父子の首級がここに埋葬された。墓が残る。
          和田神社
和田宿へ入る手前やや離れた場所にある。祭神は素戔嗚尊、大国主命、少名彦命の三神。本殿の両開きの板戸には菊の紋があり、その両側の羽目板には上り龍と下り龍の彫り物がついているのが見える。
木曾海道六拾九次之内和田 広重画
人口   522人    家数   126軒
本陣 1 脇本陣 2  旅籠    28軒
            八幡神社
祭神は応神天皇。18世紀前期の建築と思われる。拝殿と覆屋を併合した入母屋造りの建物は珍しい。和田城主大井氏の居館の鬼門除けに建てたといわれる。
            信定寺
和田城主大井信定が討死しその菩提を弔うために天文23年(1555)建立。
木曾海道六拾九次之内下諏訪 広重画
人口 1,345人*  家数   315軒*
本陣 1 脇本陣 1  旅籠    40軒
        (*は加宿を含む)
            慈雲寺
春宮の鬼門除けに建てられた。正安2年(1300)下社大祝金刺満貞が建長寺の一山一寧を招き開山した。
           諏訪神社春宮
諏訪大社のひとつ。諏訪大社は上諏訪の上社本宮、茅野の上社前宮、下諏訪の下社春宮それに秋宮の四社に分かれている。
         諏訪神社秋宮
諏訪大社の一つ。
木曾街道塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望 英泉画
人口   794人   家数  166軒
本陣 1 脇本陣 1 旅籠   75軒
            永福寺
木曽義仲が信仰した駒形観世音を伝えている。元禄15年(1702)に他所から移ってきたという。
              阿礼神社
かつて近隣四都の総社を勤めた由緒ある神社という。大門村の産土神、7月の大例祭はおおいに賑わう。


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