神社・仏閣  1.日本橋から本庄宿へ
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 宿駅のデータは「中山道宿村大概帳」による。人口は天保14年(1843)調査。

木曽街道續ノ壱日本橋 雪之曙 英泉画
             神田明神
天平2年(730)創建。のちに平将門を祭神として合祀、徳川幕府は江戸城の表鬼門に当たる現地に江戸総鎮守として移転した。昭和9年(1934)現在の社殿に造営した。大黒様、恵比寿様、平将門の三柱を祀っている。
              高岩寺
延命地蔵尊はとげ抜き地蔵として有名。お参りすれば心のトゲ、心の罪(トガ)まで抜いてくれる。病気や痛いところを白布でこすると効き目があるという洗い観音も人気を集めている。
 高岩寺の洗い観音
              大円寺
幕末の砲術家高島秋帆の墓がある。入口には八百屋お七供養のためのほうろく地蔵が祀られている。
木曾街道板橋之驛 英泉画
人口 2,448人   家数   573軒
本陣 1 脇本陣 3 旅籠    54軒
             観明寺
朱塗りの山門は本堂前の稲荷神社とともに加賀藩下屋敷から移築した。入口の庚申塔は寛文元年(1661)のもの。
木曾街道之驛 戸田川渡場 英泉画
人口 2,223人   家数   430軒
本陣 2 脇本陣 1 旅籠    23軒
         和楽備(わらび)神社
元蕨宿の村社。明治の末に近くの18社を合祀し今の名になった。
              三学院
徳川家康から御朱印20石を受領、歴代の将軍から保護を受けた。仁王門前の子育地蔵は元禄9年(1694)建立、火伏、子育、開運の御利益があり参拝客が多い。
           調(つき)神社
古くから浦和の総鎮守として栄えた。天照皇大神、豊宇気姫命、素戔嗚尊を祀る。調とは『租・庸・調』の調で、伊勢神宮への貢(調)物の初穂を納めた倉庫群の中に鎮座していたと伝えられその納入に邪魔な鳥居がない。
          調神社の狛犬は兎
中世、調の読みが月に通じることから、月待信仰に結び、月神の使いとされる兎の石像が境内の随所に置かれ、境内の入口にも狛犬の代わりにある。
支蘓路ノ驛浦和宿 浅間山遠望 英泉画
人口 1,230人    家数   273軒
本陣 1 脇本陣 3  旅籠    15軒
            玉蔵院
江戸時代、関東十檀林の一。地蔵堂は安永9年(1780)建立、市の文化財に指定されている。
              廓信寺
明治31年、紅赤俗称金時いもがこの地で発見され、発見者と普及者両家の菩提寺であると寺の入口の案内板に記されている。
木曾街道大宮宿 冨士遠景 英泉画
人口 1,508人   家数   319軒
本陣 1 脇本陣 9 旅籠    25軒
            加茂神社
古い社だが創立は不明。別雷命ほか祭神を祀り、五穀豊穣と万物を生みなし育てる神と崇められてきた。本殿周囲の彫刻がいい。
             氷川鍬神社
寛永9年(1632)建立、上尾宿総鎮守。疫病除け、招福、豊作の神である豊鍬入姫命ほかの祭神を祀る。
木曾街道上尾宿 加茂之社 英泉画
人口   793人    家数   182軒
本陣 1 脇本陣 3  旅籠    41軒
            遍照院
遊女お玉の墓があることで知られる。お玉は美しく気立てもよく宿の大村楼に勤め主人から可愛がられていた。19歳のとき参勤交代でこの宿に休んだ前田候の小姓に見初められ、一緒に江戸に行ったが2年後悪い病気になり泣く泣くこの地に戻り亡くなった。この寺に鄭重に葬られたという。
岐阻街道桶川宿 曠原之景 英泉画
人口 1,444人   家数   347軒
本陣 1 脇本陣 2 旅籠    36軒
            多聞寺
境内の推定樹齢250年のムクロジ(無患樹)は風格がある。県の天然記念物に指定されている。
              浅間神社
手前の境内広場はゲートボールに興じるお年寄りで賑わっていた。鴻巣宿も近い。
岐阻街道鴻巣 吹上富士遠望 英泉画
人口 2,274人    家数   566軒
本陣 1 脇本陣 1  旅籠    58軒
             勝願寺
文永年間(1264〜75)創建。関東郡代伊奈忠次の墓、信州松代城主真田信之夫人小松姫の供養塔がある。
             鴻神社
明治に入り他の二社を合祀し鴻三社と称した。のちに更に町内の他神社を合祀し今の社名となった。今でも「鴻三社」の額が拝殿に掲げられている。
            氷川神社
源頼光の四天王の一人渡辺綱が勧請したといわれる。入口に「箕田碑」があり、箕田源氏の由来を記している。
岐阻道中熊谷宿 八丁堤ノ景 英泉画
人口 3,263人   家数 1,075軒
本陣 2 脇本陣 1 旅籠    19軒
             熊谷寺
熊谷次郎直実の館跡に幡随意上人が開基したもので直実の墓と伝えられる宝篋印塔がある。直実は一ノ谷の合戦で若い平敦盛を討ち無情を悟ったという話がある。
             国済寺
康応2年(1390)関東管領上杉憲顕の六男(三男とも)憲英が開いた寺で憲英の墓がある。徳川家康から御朱印50石を賜っている。憲英は庁鼻和(こばなわ)城を築き深谷上杉の祖。
            高城神社
熊谷次郎直実の氏神であった。兵火で焼けたものを寛文11年(1671)忍城主阿部氏が再興した。入口の常夜灯は150人ほどの紺屋が奉納したもので台座周囲にその名が記されている。
岐阻街道深谷之驛 英泉画
人口 1,928人   家数   524軒
本陣 1 脇本陣 4 旅籠    80軒
             清心寺
一ノ谷の戦いで戦死した平忠度(平清盛の弟)の墓がある。討ち取った近在の岡部六弥太がその死を悼みここに葬ったもの。
              普済寺
源氏17騎の一人として名を馳せた岡部六弥太忠澄が開いたという。ただし六弥太の墓はやや離れた畑の中にある。


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